【学校制度】この国はいつまで子どもたちに夏休み明けの憂愁を味わわせるのだろうか。

9月初めの憂愁

 夏休みが終わり9月になると、小中高生たちは新学期が始まり学校生活を再開することになります。

 同時に、学校へ行くことに抵抗があったり、誰かのいじめにあっている生徒たちにとっては苦難の時期が訪れます。

そしてそうでなくても、様々なプレッシャーを先生や他の生徒、あるいは学校の雰囲気自体から受けることに感受性が高い生徒は、学校に行きたくない状態になります。

 私は塾の教師を長く続けてきていますが、塾の教師を始めて以来ずっと「学校へ行っていない生徒」がいて、そういう生徒を指導することは実は常態となっています。

いわゆる「登校しない生徒」がいない時期はありません。

 私がここで「登校拒否」という言葉を使わないのには理由があります。子どもにとって学校で教育を受けるのは権利であり義務ではありません。

憲法は親に子どもに教育を受けさせる義務を定めていますが、子どもにあるのは教育を受ける権利であり、それをその子どもが育ちやがて未来を切り拓いていくその国はそれに応ずる義務があり、決して子どもに義務などはありません。

しかしながら「登校拒否」という言葉を使うのには、学校へ行かない子どもは勉強を拒否している、集団の和を乱してやるべきことをやっていないという思考が社会全体にあるからだと思っています。

 たとえば上司がひどいパワハラをしてきて自分がどうしても会社に出社したくなくて、今後の事も考えようと思って、連絡をした上で欠席を数日繰り返したときに、「ああ、あいつは出社拒否の迷惑な奴」というように言われたらどうでしょうか。

「労働基準法による労働者の権利はどうなっている!」そう感じるのではないでしょうか。

ましてや子どもが学校を休んだからといって誰が迷惑を受けるでしょうか?

本当は「教育を受ける権利はどうなっている!」と叫んでもいいのです。

これだけ多くの人が行きたくないというのだから、学校というものに問題があることははっきりしています。

 普通に学校に子どもを通わせている保護者の方は、多くの生徒が学校へ行けないという事実について耳にすることがあっても、自分の子どもがそうなるまでは実感がないため、

何かの機会に自分の周りでも、期間の程度の大小があっても、「学校へ行っていない生徒」がたくさんいることを知ると衝撃を受けます。

しかし本当に多くの子どもが学校へ行けない苦しみと闘っています。それは今も昔もずっとなのです。

 小学校から中学校の期間、学校へは行かないまま、塾のみに通う生徒もいますし、高校生であれば高校をやめて受験をし直すために塾だけに通い、そこから別の高校に入る生徒もいます。

もちろん学校をやめて高等学校卒業程度認定試験(いわゆる大検)を受けて大学を受験するような生徒も塾には結構来ています。高校は途中でやめてこの試験に合格して大学へ進んでいくのです。

同調圧力の社会はマスコミによって強化された

 文科省のデータによると令和2年の小中学校の不登校生徒数は19万6127人で、全児童数の2%に当たるとのことです。つまり50人に1人は学校に行っていないということになりますから、上記の私たちの実感と大体同じ感覚です。

 そして驚くことに、こういう数字は問題視されるだけで一向に減ったり無くなったりしないのです。

なぜこんなことになったのでしょうか?

色々なことをテレビに出てくる学者やら有識者は並べたて、学校の先生たちが問題とか、弱者を追い詰める社会風潮(それは実はマスコミそのものなのですが)が悪いなどと言っていますが、本当にそうなのでしょうか。

今回はいじめ問題を語るのが目的ではないので、深くは触れませんが、誰かをいじめている生徒も明日は自分がいじめられるような状態に学校はあります。

これは何も最近の話ではなく、私が学校へ通っていた昭和中盤の頃から同じでした。

 当時もテレビは誰か変わったこと言う人や人と違った行動をとる人を笑いものにしたり、何かで叩いたりするようなお笑い番組や、まだ犯人とも決まっていないのに、人の私生活を延々と後悔して正義の味方を気取る番組を流しつづけていました。

それは常に一方的で、同調圧力によって世論を動かすという意図が常に見え隠れしていたものです。

私は今はまったくテレビを見ませんが、今も同じなのでしょうか?

 テレビを見て育った私たち日本人は、きわめて強い同調圧力というものの中で暮らしています。

そんなことになっているのは、何も日本人の素地が元々そうなのではありません。

それは「他人と違っていると疎外される」という事を子どものころから学校で指導されているだけでなく、明治以降のメディアの行動も全く同様に、他人と違っている人を糾弾するという形を取ってきているからです。

 少なくとも江戸時代以前、人々はもっとおおらかで、幕府の支配下にあるとはいっても、士分は別として庶民においては個人よりも集団というような意識は少なかったのではないでしょうか。

同調圧力の社会はマスコミによって強化され、それは今も続いているのです。

 昨今の騒動にしても、法的な義務のない事をマスコミは延々と「〇〇を守るために」というキャッチフレーズを流して、あたかも違う行動をとることは許されないという論調でキャンペーンを行ってきました。

「社会のために〇〇を」という名目で何かが強制されることを、人々は知らず知らずのうちに当たり前と感じてしまっています。そしてその同調圧力はこれまでにない規模で強いものになってしまいました。

何が悪いのか?

 話をもとに戻します。いったい何が問題なのでしょうか?なぜ子どもたちは学校へ行けないのでしょうか?

答えは簡単だと思います。

学校へ行く意義を実感できないから」だと思います。決して個性のある子どもたちに問題はありません。

日本の学校教育の根本は戦後ずっと「一生懸命勉強していい大学に入りいい会社に入れば幸せな暮らしができる」という命題を元に組み立てられていると思います。

しかしその意義を、子どもたちは実感できるとは限りません。

 昭和の頃であっても、大学を出て大企業のサラリーマンになる人や官僚になる人はごく少数でした。

だから中小零細企業が9割を占めるわが国で、エリートサラリーマンを養成しようとしたのは、高度経済成長期でもプランとしてはかなり強引だったのではないかと思います。

 私が学生だった頃も学校へ来ない生徒は結構いました。そういう基本レールが透けて見え隠れしていたので、行く必要を感じられなかったのかも知れません。

ただいわゆる「受験戦争」をメディアが煽り立てていたので、誰もが「とりあえず大学」という気にさせられていたのは確かです。

 しかし今やその大企業自体が風前の灯火であり、もし大企業に入ってもいつリストラされたり外国の企業に買収されるかもわかりません。

官僚だって同じです。徹夜で無能な国会議員のパワハラのために働かされて、その上で出世できる保証もない、そんな大変な仕事であることはすでに世間に知れ渡ってしまいました。

今の学校制度は硬直化している上に、目標すら見失っている状態です。構成員である生徒たちも、自分に明確な目標があればいいですが、そうでなければ暗中模索の気分に陥るかも知れません。

 にも拘わらず、なぜ学校がまったく変わらないのでしょうか?

明治以降ずっと続いている集団行動訓練を未だに運動会ごと特訓をしたり、他と同じ行動をとらないと、その意味が正しい行動であっても糾弾されるというシステム。

自分が得意で大好きな勉強だけをやり続けることが許されず、苦手で大嫌いでも受験科目だからという理由でそれを我慢して10年近く学習しなくてはならない。

良い先生に当たれば何とかなるかもしれないが、暗記強制型の先生に当たれば延々と漢字や英単語を書くだけの作業をずっとしなくてはならない。

「社会に出て困るから」「あなたのためだから」と言って他の人との協調性や先生への従順さばかりを強調する。

いずれも考えてみれば、ごく少数の従順なビジネスエリートと官僚を想定した指導システムだと気づきます。

そこでは自営業者になりたい人、起業をする人、農業をする人、大工になる人、親の店を継いで発展させたい人、地元の老舗を継ぐ人などは、実は元々あまり考慮がされていないシステムであり

だからこそ、自由な発想やオリジナリティは禁物になっているのです。

そりゃあそうです。大企業の新人がオリジナリティを発揮しては会社や株主は困るし、官僚だって同じだからです。

もちろんそれが悪かと言えば、そうでもありません。このシステムによって日本は高度経済成長を達成して戦後の奇跡的な復興を果たしたのは事実です。

 識字率は世界一ですし、集団行動をすればおそらく世界一でしょう。

 でもそれが、そういうシステムが、子どもたちの小さな心にはたいへんなプレッシャーを生んでいるのではないかと思います。

もう形を変える時期がきているのです。

もっと色々な形で自由に学べる空間に学校と言うものを変えていかないと、このままの形では早晩学校制度は崩壊するのではないかと思います。

国もマスコミも不登校児が多い、社会に問題がある、先生に問題があると言い続けるだけで、抜本的な事は何も改革しようとしません。

黒板の前で何十人が何時間も延々と授業を受けて、トイレや食事以外は席を立つこともできない。そのスタイルで年間何百日も拘束されて勉強をして、ほとんど全員が英語を話せるようにすらならない。

こんな欠陥だらけのシステムをなぜ一から作り直さないのか、私はいつも不思議に思っています。

これ以上学校を「辛い場所」にし続けてはいけません。

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