間違いやすいことわざ
ことわざは、古くから言い習わされてきた教訓や風刺のような内容を、短い言葉で表すものです。
実にたくさんのことわざがありますが、普段そんなに使うわけでもないため、多くの人が、かなり勘違いして覚えていることがあるように思います。
以前慣用句の記事で書いた「情けは人のためならず」の意味の取り違えなどは、その代表例ですが https://wizzseiun.com/2021/08/19/idioms-2/
そもそも、ことわざのセリフ自体を勘違いしている場合もあります。
セリフが違う
たとえば「人の噂も四十九日」ということわざの誤りがよく言われています。
正しくは「人の噂も七十五日」です。人の噂がそんなに長い期間ずっと伝わってはいないことを示すことわざですが、この期間を謝って四十九日で覚えている人が結構います。
これは人が亡くなった際に、仏事で四十九日の法要が行われるため、それと混乱されているのではないかと思いますが
75日という日数の意味は、75日というのが大体一つの季節の正味の期間で、それを過ぎ去れば、人は忘れてしまいがちという所から来たようですから、故人を偲ぶ期間である49日では短かすぎますね。
この期間が忘れるのに十分な期間というのでは困ります。
仏教用語はまちがえるかも
「袖擦り合うも他生の縁」ということわざがあります。
これは、なかなかロマンのあることわざで
服の袖がちょっと触れ合うようなごく軽い出会いも、実は前世からの因縁が関係しているという意味のことわざです。
だから「ちょっとした出会いも大切にしよう」
「一度だけ会うような時もその貴重な出会いの意味を考えて疎かにしないようにしよう」
という考え(一期一会といいます)につながってくるわけですが、
ここで「他生」とは「その人達の他の人生」つまり「前世」を表します。
前世があるかないかの議論は別として、これはそういう意味のことわざです。
ところがかなりたくさんの人が、このことわざのセリフを「多少の縁」つまり「ちょっとの縁」と勘違いしています。
仏教用語なので勘違いもしやすいのかも知れません。
袖が触れ合った他人でも、前世では親子だったかも知れないのですから、そんな場合には「多少」どころではありませんね。
知らない言葉
おそらくほとんどの方は「物種(ものだね)」という言葉をご存知ないかと思います。
「物種」は「物事の元となるもの」を言います。
ことわざに「命あっての物種」というのがあります。これは「何事にせよ、まず大切な命があってのこと」という意味です。
「命がある事こそがすべての物種」だと言っているのです。
ところが、音を聞いただけで、会話的に「命あってのものだね〜」と覚えた人も多いのではないでしょうか。
まあ、実質的には同じような意味にはなりますが、ちょっと言葉の重みが違ってしまいますね。
私たちが当たり前と思う事にも、勘違いは結構あるように思います。
一度確認した方がいいかも知れません。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。