百匹目の猿
皆さんは「百匹目の猿現象」というお話をご存じでしょうか?
動画チャンネルやSNSではよく目にするお話ですが、知らないという方も多いかもしれません。
「百匹目の猿現象」はこんな話です。
宮崎県にあるある島(幸島)に住むニホンザルの一頭がある時イモを洗って食べることに気づき、その行動を始めました。仲間たちはそれをまねてどんどんみんながその行動をとるようになっていきました。
そしてその行動をとる猿が100匹(これは本来一定の限界値というラインを指していて、100匹と言う数字自体に深い意味があるわけではないようです)を超えた時、そこからはるかに離れて、何のつながりもない場所である大分県高崎山のサルの群れで、突然この行動をとる猿が出現したというお話です。
大変不思議な話ですが、この話はイギリスの学者であるライアル・ワトソンが、日本で起こった出来事として公表した話で、実際には個人的な逸話や霊長類研究者の間に伝わる伝承を元にした話であるとされます。
ただしこれは単なる創作された物語であるとする人も多く、その真偽は実際は確かではありません。
しかし実際にもしこのような現象が起こっているとしたら、生物の意識の底には心理学で研究されているような集団的無意識があり、それは予想以上に強いつながりをもって連携しているということになるのかも知れません。
これとよく似た話かどうかは定かではないですが、お互いに接触がない地域にいる人間相互で、かなり似たような文化が発展したというような歴史はよく耳にします。
これがそういう意識の問題なのか、あるいは人間なので思考のパターンが似通っているのかどうかはわかりませんが、興味深いところではあります。
今回お伝えする、「スプーンとさじやれんげの関係」もそんなことを感じさせる逸話です。
スプーンの起源
食事に使うスプーンは色々な場面で利用されていますが、英語ではspoonと書きます。
恐らく古代人が木片などで食事をすくって食べる時に使うものが、次第に進化して今の形になったのでしょう。
今や非常にスマートで食べやすく人々には欠かすことのできない道具ですが、最初はそういう必要に駆られて登場したのだと思われます。
れんげ(蓮華)とさじ(匙)
これに対して東洋でも、同時期に同じような道具が発達しています。
中国では、陶製の日本語で言うところのれんげ(蓮華)が使われるようになっていました。
また、日本ではさじ(匙)が使われました(中国の蓮華も中国語では匙と書くようです)
やはり必要から出来た道具だと思います。
でも不思議に思うのは、中国と日本であれば、地理的関係から同じような道具が発達するのも無理はないとしても
ほぼ交流のなかった時代に、ヨーロッパではスプーン、国や日本では匙(れんげ)が出来たというのはどう考えたらいいのでしょうか。
私が知らないだけでヨーロッパのスプーンと蓮華やさじの発祥につながりがあるのかもしれませんが、形状は大体同じものですので、もし知らずにできたとすると、人類は離れていてもやはり皆考える事は同じなのかと妙に感慨深いものがあります。
単に人間に必要な事は似ているからそうなったのか、あるいは百匹目の猿現象のように人間の意識の奥底はつながっているからそうなる必然性があったのか、大変興味深いところです。
考えるという事
今では「さじ(匙)」という言い方をする人は、かなり少なくなったので少し変わってきていますが、英語のspoonを和訳すれば、「スプーンまたは匙」ということになります。
これを聞いて「あれ?お互いに似たものがあったのだな」と歴史的に初めて英語を知った日本人は、考えたのではないかと思います。
そう考えると、英語を和訳するというのは、実に不思議な作業に思えてきます。
りんごが世界中にあってもおかしくないので、りんご=apple はわかりますが
たとえば、はし(箸)=chopsticks とかは「はし(箸)を知ってから、英語が作られたのかな」どとつい考えてしまいます。
元々は英語圏にはなかったものですので…。
ちょっとしたことですが、こんなことを考えながら英語を学習するのも、文化の違いを意識することになり実は、かえって暗記が進むものです。
今回のお話であれば「意識とは何か」というような心理学的な深堀りもしてみたりして、自分の世界がどんどん広がっていったりするかもしれません。
何事も興味を持ち、あれこれ考える事が、思考の幅を広げて記憶の定着を促進するだと思います。皆さんも、あれこれ考えてみるのも面白いですよ。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。