なぜ伝わらない?
よく何かを発表する人や計画を立ててきた人が、会議で一生懸命説明をするのですが、皆が聞きたがっていることとその人が言いたいことにずれがあって、いつまでも話が進まないのを見ることがあります。
本人としては、自分の言いたいことが伝わらない理由がよくわからず、ようやく質疑の果てに皆が納得すると、
「だから最初からそう言っている」とか「そこに書いてあるでしょう」と怒り出したりします。
しかし伝わらないのには理由が必ずあります。
そのほとんどの場合が表現者側の説明不足が原因です。
表現する側が自分の中で内容をまとめてそれをそのまま放出しようとするため、文章であれば、必ずきちんと書かれていなくてはいけない主語が抜けていてよくわからなかったり
内容面であれば、表現側が自分自身しか詳しく知らないのに、皆も同等の情報量だと思って自分の知っているところを前提に話してしまったりして、理解を得られないことも多いように思います。
たとえば業界用語などをそれを知らない人に平気で使っていたりするのは、相手にわかってもらおうという気が端からないと言ってもいいかも知れません。
意味がわからない作文
作文の練習をあまりしたことのない生徒は、主語を抜いたり、自分だけしか知らない言葉を説明なく書いたりして大変意味不明な文章を書いてしまう事があります。
昨日の帰りは楽しかった。床屋さんの道にシルバーKが落ちていたのでそれで遊んだ。明日も行こうと言ったのでじゃあ3人でミヨシに行くと言ったけど、ミナミが行けないと言った
こんな感じの文章です。
これでは誰と誰がどこへ行くかもさっぱりわかりません。
正しく書けばこういう内容になります。
昨日の学校からの帰り道は楽しかった。床屋さんの横の細い道に一番有名なカードであるシルバーKが落ちていたので、一緒にいた友達と3人でそれを使った遊んだ。キヨシ君が「明日もカード屋の『ミヨシ』に行こうよ」と言ったので。「じゃあ3人で行こう」と僕が言ったけれども、もう一人のミナミさんは行けないと言った。
本来はこれくらいの説明が必要です。
こう書くと笑われる方もいると思いますが、作文ではなく会話ではかなりな確率で大人もこういう説明不足の話をしていることがあります。
よく「どういうこと?」とか「もう一度説明して」と言われる人は、自分が説明を丁寧にしているかどうか考えてみるのもいいかも知れません。
もちろんプレゼンやスピーチではそういう情報が足りない表現ではうまくいくことがないと思います。
怒る先生
昔から自分が学生で指導を受ける側であった時に、生徒に対して授業態度や素行は別にして学習内容が理解できないことを怒るというタイプの教師に何人も出会ったことがあります。
その多くは上から目線で「どうしてこんなことがわからない」という姿勢の先生でしたが
今振り返って思うと、そういうタイプの教師は例外なく「説明不足」であったり「独りよがり」な説明をしていたように思います。
なぜそう思うかというと、相手が分からない理由というものは、それに直面した場合にはまず第1に自分に求めなくてはおかしいからです。
そしてしっかり振り返り分析した後で次に初めて相手の理解不足を疑うということになりますが、
生徒は初めから多かれ少なかれ理解不足に決まっています。教えてもらう立場なのですから。
だとすれば、それに怒りを感じるというのは、どう考えてもおかしな思考の方向性だと言えます。
だから表現の仕方に問題があり、その問題を生徒側に転嫁していたという風に思い出されるのです。
伝わらない理由
私は長くこのブログを書いています。またスピーチなども時々しますし、色々な企画書を作ることもあります。
どちらかと言うと世の一般の方よりもずっと文章を書き続けていると思います。
もちろん教師として作文の指導なども頻繁にしています。
それでも表現の受け手の方に「?」という感じで切り込まれることはよくあります。
そしてそのたびに、「ああこの方にはここが説明が足りなかったのだ」と反省をする日々を過ごしています。
たとえばAさんにはツーカーで伝わるものも、Bさんには「?」であることもあります。じゃあAさんにだけ伝われば良いという考えはどうかと言えば、できたらみんなに伝わった方がいいに決まっています。
しかし、より多くの人が分かる表現というのは何も難しいものではないと思います。おそらく誰もが自分が受け手であればわかる事ばかりです。
それを前提に考えればいいだけのことです。
分かる表現ができるようになって人間関係も良くなる場合もありますし、何より自分がスッキリすることも多いのではないかと思うので、一度自分の表現と言うものを見直してみるのはいかがでしょうか?