何かをやろうとして続かない人へ
新年がスタートしました。今日は1月6日ですので、そろそろ学校や仕事が始まり少し落ち着いてきた頃かと思います。
1月ですので、何かを「今年こそやろう」と思い立って、新年の誓いを立てる人も多いでしょう。
しかし思い立っても、それをずっと続けることはなかなか容易ではありませんね。持続力というのはどうすればつくのでしょうか。
よくある話ですが、1月の初めに友達が「今年はダイエットをする」「今年は1日1時間必ず英語の勉強をする」などと計画を立てたと言うので、
1月の終わり頃に「どう、続いている?」って聞いたら「そんなのすぐにやめっちゃったよ」なんて返事がきたなんていうこともあります。
三日坊主になってしまったこと、誰にでも経験があるのではないでしょうか。
「三日坊主だった」だけで終わっていませんか
皆さんは、三日坊主になるというのはどうしてなのか考えたことがありますか。
いろいろ原因があると思います。普通言われるのは「途中で飽きてしまった」とか「根性が足りなかった」なんて言葉かと思います。
しかし本当は、大半が別のところに理由があります。それは「計画に無理があった」ということです。
ただしここで注意してほしいのは、これは客観的に誰の目からみても無理があったという意味ではないということです。
自分ができる形に軌道修正を繰り返す
例を挙げて説明します。
「毎日1日1時間英語の勉強をする」という計画をしたとします。
そしてその日から英語の問題集をやってみたり、教科書を出して意味を調べたりして、張り切って計画を遂行します。
ところが数日たつと息切れがして来て、次第に時間が短くなります。1週間も経たないうちに「結構やってみると大変だな」と思います。
昨日は15分くらいしかできませんでした。それで「これはダメだ」と思います。
そして終了。自分でも「三日坊主だった」と思って自己嫌悪に陥ります。
おそらくこんな流れかと思います。
ではこの計画のどこに無理があったのでしょうか。
普通に1時間英語の勉強をすることを、そんなに抵抗なくできるという人もいると思います。
そういう人から見ると、まさに「やる気が足りない」とかいう評価になってしまうかもしれません。一般の目を基準にすればそうなる可能性もあります。
しかし彼がこれまで英語が苦手で、英語の教科書を読んでもさっぱり意味がわからない生徒だったらどうでしょうか。しかも勉強は嫌いで宿題以外は家でやったことがない生徒だったとしたら…。
そうですね。最初から「英語」を「1時間」というのは無理がありますね。せめて「英単語の暗記」を「毎日15分」なら現実味がありますね。
計画が抽象的であり、かつ分量的にいきなりでは多すぎるものであったということになります。
このように計画というものは、その時点の計画者の状況にあったものでなければ大抵頓挫してしまうものなのだと思います。
だから三日坊主になったときには、本当にやる気の問題だけだったのかを振り返って考えることがとても重要です。
もちろん「やる気」という抽象的なことを言われれば反論できる人はいません。
「やる気」があれば、およそ誰かが実現していることは肉体的限界や物理的限界がなければ、一応可能ということになってしまうからです。
しかしこれは全く科学的ではないですね。想定が個別的状況を全く考慮していないからです。
状況をよく考えて見ると、大抵は上記のように別のできなかった理由があるものです。
三日坊主は敗因分析が重要
私は三日坊主は、一旦そうなってできなかった時点が新しいスタートラインだと思います。
むしろ三日坊主こそ計画の軌道修正をするチャンスではないでしょうか。
この言葉のイメージが良くないのと、勤勉な日本人に多いとされる完璧主義が、「三日坊主で終了」という結果をあちこちで生んでしまっている気がします。
「三日坊主になったら、次はせめて五日坊主で行ける計画をやってみよう」というのが正解です。三日坊主はリタイアではなく、再スタートの号砲なのです。
そのためには敗因分析がとても重要です。
特に勉強のやり方の工夫は、自分に合ったやり方を軌道修正を繰り返して、微調整をしながらやっていくものだと思います。
最初からベストの方法が見つかるとは限りません。やってみてやり方を少し変えて見てそのうちに自分に一番あったやり方を見つけることができるようになるものだと思います。
だから、たかが三日坊主に1回なったくらいであきらめていてはもったいないです。
これは断言してもいいですが、自分にぴったりの学習法を見つけることができれば、その学習習慣は楽しくて長続きするものです。
自分にしっくりいかなかったり、嫌々やっている間は三日坊主は続くかもしれません。
だから自分の根性に磨きをかけるというようなことを検討する前に、そのやり方がそもそも自分に合っているかどうかそれを冷静に考えるべきです。
「楽してできるようになるならばそれが一番良い」のです。言い換えれば、楽してできるようになる方法を考えるのが勉強法を考える事と言ってもいいかもしれません。
昔から科学というものが「人が便利に何かをできるようになる」ことを目指して進歩してきたのと同様に、勉強の場合も合理的な方法を絶えず考えていくことが、持続できる習慣を生み、時間の節約を生んでくれるのだと思います。
たとえば昔、畑をすべて鍬で人力で耕していた頃、耕す面積も耕し続ける時間も限界がありました。やっている人も大変だったはずです。
しかし機械が発明されて一変しました。耕す面積は飛躍的に増え、運転している人も以前より楽しく仕事ができるようになりました。そしてこれまで耕すことにあてていた時間を他のことに回せるようになりました。
勉強の場合も同じです。良い学習法という新しい機械をあなたが発明して上手く使えば、三日坊主はやがて「ひと月坊主」になり、そのうちにあなたを「計画を必ず遂行して結果を出す人」に変えてくれることでしょう。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。