助詞が表す微妙なニュアンスの違い
以前助詞の「は」と「が」の違いについて記事にしたことがあります。
「は」は対比の意味があり、
「その犬は、よくなついた」と
「その犬が、よくなついた」では
「は」の方は
「ほかの犬と違って、その犬は」というニュアンスを読み取ることができますが
「が」の方は
「その話題になっている犬が」というニュアンスで(排他の「が」)読むことができます。
この違いについて
ピンとこない生徒は結構いますが
文章を記述する際には
違和感を生む作文をしてしまうことになるので、注意が必要です。
「ある日父は、かわいい子犬を連れてきた。前に飼っていたポチは大きかったけれど、その犬( )とても小さくてびっくりした」
このカッコに入るのは「は」か「が」かと問われたら
やはり他との比較があるので、「は」でないと違和感があります。
ただこれは、意味が通らないということではないので注意が必要です。
「が」を入れても(本来の趣旨とは少しずれますが)一応意味は通じるし、日常会話では特にそれで問題はないのです。
しかし作文や、国語の記述の際にこのような表現をすると
「その表現はどうかな?」となるということです。
ワシントン「へ」行く。ワシントン「に」行く
「へ」と「に」も、使い方でニュアンスが微妙に違って来る助詞です。
たとえば
「ワシントンへ行く」というのは、ワシントンという到達点とともにそこへ向かう経路や方向を広く表しています。
「僕たちは、ボルチモア経由でワシントンD.C.へ行く」という表現は、漠然と経由地を通って目的地のワシントンの方へ向かうというようなイメージです。
これに対して
「ワシントンに行く」というのは、ワシントンという到達点そのものを表します。
「僕たちは、ニューヨークではなくワシントンD.C.に行く」という表現は、「他ならぬワシントンD.C.」に向かうというイメージです。
ただ、この違いは「は」と「が」の違い程には、はっきりした違いには感じられません。
実際のところ、どちらも会話だけなく作文などでも同じような用法で使われてしまっているのを見かけます。
「僕たちは、ニューヨークではなくワシントンD.C.へ行く」でもそんなにも違和感はありませんが、読む人によっては「おやっ」と感じるのかもしれません。
このように助詞の違いは、程度の差はありますが、微妙な文のニュアンスの違いを生む元になっていると言えます。
助詞の使い分けの衰退
微妙な助詞の使い分けは、日本語という言語の大きな特徴であり
日本語を学ぶ外国人にとっては、一番ハードルが高い所になっているようです。
外国人の「片言の日本語」は助詞を抜いたり、助詞の用法が誤っている形が多いですね。
「ワタシ、サッポロイキマスネ」と言った具合です。
(*「わたし『は』、札幌『へ』行きます」が文としては正解)
ところが
こういう微妙な助詞の使い分けについては
高校生辺りでもよく知らないというのが、今や普通になってしまっています。
「は」と「が」の用法は、国語で学習をしますが
それは文法的な助詞の使い分けと言う形でしか登場をしてこないので
語彙のイメージ的な面としてのこういう使い分けには、皆あまり興味を持ちません。
実際にはアナウンサーを志願する人とかが、熱心に勉強をするくらいかも知れません。
しかし、こんなちょっとしたニュアンスの違いを
私たち日本人は古くから敏感に感じて、会話や文章で楽しんできたのだと思います。
言ってみれば、日本の大切な文化と言ってもいいかも知れません。
だとすれば、
助詞の使い分けについて、アナウンサーにならない私たちだって
もう少し意識してもいいのではないでしょうか。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。