人はどんなときに騙されやすいか
現代は、極めてたくさんの情報があふれかえっている時代です。
ネットを通して、世界の最新の情報を一瞬に得ることができるようになりましたが
その分怪しげな情報や嘘の情報、故意に人を騙そうとする人間による偽りの情報など
私たちにとって危険な事も急速に増えてきました。
そんな中、どう私たちは危険を回避していけば良いのでしょうか。
そのためには、まず人を騙したり利益を自分の方に向けようとする輩が
一体どういう方法で、私たちにアクセスしてくるのかを考えて見る必要があるでしょう。
その観点から見ると「私たちに有利な情報」を示して来るというのが、彼らのやり方のように思います。
人は自分にとって「有利な情報」を見た時に、一番無防備になってしまうからです。
気をつけるのは詐欺だけではない
最近では人々の情報リテラシーも少しずつ向上しています。
詐欺メールやオレオレ詐欺など、その手口が周知されるに至り
多くの人が気をつけるようになり始めています。
しかし、あからさまな詐欺でない一般の情報の中にも
嘘や偽りの情報はたくさん流れています。
はっきり誤りとわからないので、むしろ有害度は高いかも知れません。
知らず知らずのうちに嘘を前提として、様々な思考を積み上げてしまう恐れがあるからです。
たとえば昨今であれば
新型ウィルスの問題、アメリカの大統領選の問題など、人々を不安に陥れる情報が世界を日々駆け巡っています。
そして多くの人が、それぞれの立場でネット上で情報を求めています。
ここではその情報の内容については語りません。あくまで情報の取り扱いの話をしたいと思います。
仮にある人が動画チャンネルやSNSを通じて、自分の考えを裏付ける情報を見つけたとします。
その人は大喜びでその情報を更に拡散します。
同様にそれを受け取った人もそれを拡散していきます。
新しく情報に触れた人は、あたかも世界中にその情報が流れているように感じて、その情報が正しいという先入観を抱きます。
ところが現実はどうでしょうか。その情報は1人の人間が見つけた1つの情報源から始まっているに過ぎません。
ではその元の情報源である発信元が嘘をついていたり、自分の考えや意見を根拠なしに発表していたとしたらどうでしょうか。
世界でたとえ何万人がその情報を発表していても、その情報は根拠のはっきりしないきわめて信用性の低い情報に過ぎないことになります。
これが現在のネット上の情報のもろさの正体だと思います。
情報元を確認する
このような事態に対して、私たちができることは
情報を受け取った時には、なるべく別の情報にも触れるようにして、その中で少しでも情報源に遡るようにするということです。
情報を遡って行った時に
たとえば元が1人の人が流した動画であったり、個人のブログであったりすることはよくあります。
もちろんそれ自体が信用性の高い場合もあります。対象に一番近い人物であったり公的な立場で状況を良く知る場合などはそれにあたります。
しかし主観的な考えとしか思えないような内容である場合もあります。
そのような場合には、いくら多くの人がそれを受けて情報を拡散していても、これを事実としてとらえるべきではないでしょう。
マスコミや新聞だからといって信用しない
そして現代の情報社会における最も厄介なところは
このようにして遡って情報源にたどり着いたときに
その発信元が、上記のような一個人ではなく
公的な機関やマスコミ、あるいは新聞社の記事であった場合にも
「ああ、これは正しい」と信じ切ることができないという点です。
マスコミや新聞が意図的に偏向的な情報を流すことがあるということは、残念ながらもはや常識に近くなってしまっていますし、
その程度は年々大きくなっているように感じます。
更に、公的な機関の発表する情報でさえ、意図的に重要な情報が奥の方やわかりにくい所に設置されていて、アクセスするのが容易ではないこともあります。
このような情報にも政治的な意図が働いていたり、出来るだけ公的な責任を回避しようとして編集をされているのですから、むしろこれは当然の事かも知れませんが
もはや個人の立場では「何を信じたらよいのか」が分からない時代になってきていると言っても過言ではないのです。
唯一の防衛策
では、こんな時代に私たちは個人として
どのようなやり方で、誤った情報に振り回されないようにしたら良いのでしょうか。
私は、正しい情報を見抜くために一番有効な方法は
「自分に有利な情報は『まず疑う』」ということだと考えています。
有利な情報を見ると、どうしてもそれを信じたいという気持ちが働きますが
その気持ちが、私たちの情報を見る目を曇らせてしまうからです。
そして、すべてをその有利な情報を裏付けるための根拠として
頭の中で構築してしまいがちです。
でも、そもそもが根拠のはっきりしない情報を元に考えが構築されているのですから
判断に誤りが生じてしまい、現実とはかけ離れた考えに至ってしまう危険さえあります。
だから「まず疑う」という対策がとても有効なのです。
そしてその上で、その情報源を可能な限り探してみましょう。
行きついた先の情報源がどんなものなのかは、その時々によって異なるでしょうが
自分の目で見て信用性を判断すればいいのです。
ある程度情報を知っていて当然という立場の人の言葉だったりすれば
「これは信用に足りる」ということになるでしょうし
憶測だけで伝えていたり、主張の部分が多い情報であったりすれば
別の根拠になり得る情報を探し直してみる必要があるでしょう。
いずれにしても、自分が動くことによってより正しい情報へのアクセスが可能になるのです。
「疑う」という事の効用はここにあります。
このような事は大変面倒で、そんな時間はないと考える人も多いと思います。
しかしこれまでの時代とは異なり、個人からの発信を含めて膨大な情報が流通する現代では、
誤情報から自分を防御する方法を考えておかないと、簡単に誤った情報にのせられてしまいます。
そんなことは避けたいですね。
ちょっとした意識の変換で、危険を回避できるのですから
手間を惜しまず情報源を確認するという事が、とても大切になって来ると思います。
面倒でも「疑い」「調べてみる」
情報化社会を生き抜くコツの1つとして、今回はこれをお勧めします。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。