【わかる喜び】「わからなかった事がわかるようになる」劇的な変化

わからない辛さ

 どんな方にも、思い当たる事があるかと思いますが

何かを知ろうとしているのに

時にすっきりと理解ができない事があります。

 例を挙げて説明しましょう。

たとえば、あなたが新しい機械を手に入れたとします。

それはとても便利なもので

一刻も早く使いたくて

あなたは操作を始めます。

 ところが、説明書がありません。

ボタンがたくさんついているのですが

そのボタンを押せばどうなるかが、さっぱりわかりません。

 電源を入れて何回か作動させてみますが

どうも複数のボタンが組み合わさって作動するようで

いくら考えても上手く使えません。

あなたはついに諦めてしまいます。

 翌朝、あなたは機械の入っていた空の箱の中に

説明書を発見します。

「なんだ、ここにあったのか」

 あなたはむさぼるように説明書を読みます。

昨日あんなにわからなかった使用方法が、見る見るわかるようになり

やがて自由自在に機械を動かせるようになります。

 どうでしょうか。そのときの気持ちを実感できますね。

これが「わかる喜び」です。

それまでの「わからない辛さ」が一瞬に吹き飛び

実にスッキリした気分になったのではないかと思います。

 自然に笑みも浮かぶかも知れません。

軽視されている「わかる喜び」

 ではもしも、この説明書がない状態のまま

「この機械を操作してみて」

「どうしてできないの」

などと言われたらどう感じますか。

 実は、勉強が分からなくて苦しんでいる生徒の気持ちというのは、そんな気持ちなのです。

「わかりやすい説明書がないまま、操作の難しい機械と対面している」

そんな気分なのだと思います。

 勉強と言うと、点数や結果であったり勉強量などが取り沙汰される事が多いのですが

「わかる喜び」というのは

勉強を進めていくための原動力であると思います。

それがなければ、いくら才能があったり、どんなにたくさんの参考書や優秀な先生が教えても

良い結果が続くという状況は生まれにくいと思います。

 しかしなぜか世間では「わかる喜び」は軽視されがちです。

「勉強は大変に決まっている」

 教師が言うダメな台詞の代表例が

「勉強は大変に決まっている」と言う言葉だと、私は思っています。

 この言葉は、勉強というものを

その根本で「苦行」ととらえているからです。

 勉強が「苦行」と思っている人と、勉強が「楽しくて仕方がない」と思っている人が

同じ土俵で勝負すれば

「楽しくて仕方がない」と思っている人が勝つに決まっています。

何より「苦行」を続けなくてはいけないという感覚を持っている時点で

その人は勉強というものを、マイナスのものと考えていることになります。

 でも楽しければ、いくらやっても辛くなどはないのです。

 実際には毎日のルーティンな学習のノルマなどをこなしたりする面で

「勉強の作業が大変」ということがあるのは事実です。

 しかし、それであってもモチベーションが高ければ苦にもなりません。

「大変に決まっている」ようなマイナスなものでは決してないのです。

「苦になる」ことが多くなっている時点で

その学習のやり方は方向性が誤っていると思われます。

 そして、このような台詞を生徒に平然と言う教師は

生徒に対して、「勉強は辛いもの」という誤った先入観を植え付けてしまっていると思います。

 世界的な発明や発見をした学者が

「研究は辛いもの、だけど頑張る」と思っていたとは到底思えません。

「これは面白いぞ。こうやってはどうか?」と言った具合に

ずっとワクワクしていたのではないでしょうか。

教師や周りの人間は、生徒に

「勉強は興味を持つ価値があるもの」

「学習をすることはとても楽しい」

ということをしっかり教えてあげるべきです。

「わかる喜び」は、人の人生を大きく変えてしまうこともある大変大きな感情のうねりです。

決して軽視すべきものではありません。

というよりも、「わかる喜び」の大きさが学習の分野で成功するかどうかを決めていると言っても過言ではないと思います。

「わからなかった事がわかるようになる」のは

小さな変化などではなく

人生を変える可能性がある

劇的な変化なのです。

今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

 


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