歴史嫌い
以前から社会科が好きな生徒の絶対数が減ってきているように感じていましたが
最近は特に「歴史や地理が嫌い」という生徒をよく目にするようになりました。
これには実は「教科書が面白くない」ことが大きな原因であると言われていますが、
さらに言えば政治的な配慮で、日本人の子ども(大人も)なるべく歴史を面白く感じないようにしているのではないかと思われるほど教科書が作為的に作られていて、
しかも「日本の歴史はひどいものだった」という観点からの記述がとにかく多く含まれており、そういういわゆる自虐史観による教科書が、戦後ずっと採用され続けてきているという事も背景にあることは間違いありません。
しかし歴史の評価や考え方はともかく、歴史的事実についてまで事実が曲げられているかと言えばそうでもありません。
したがって現状の教科書が変わらない以上、子どもたちはその中で少しでも正確にそれを学んでいくことがどうしても必要になります。
ベーシックな知識は正確に身に着けて、その上で真実を見極める目や批判する力は教科書を通してではなくまた別に身に着けていくことができれば、いずれ真実の歴史について気づき、自ら学習するという方向へ進んでいけることでしょう。
幸い今はネットやSNSなどから歴史に関する真実の情報が大変豊富に入手できます。
今回のお話は、その前提部分の、いわばベーシックな知識の習得に必要な考え方の話ということになります。
そして歴史の知識の習得にはどうしてもある方向性が必要になります。
暗記の秘策と言ってもいいものですが、それは「横断的理解(暗記)」と言うものです。
幕府の比較が意外にできない
歴史で幕府について学びますが、「幕府の名前をすべて言ってみなさい」と質問しても、すべて言える生徒はなかなかいません。
答えは簡単です。鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府です。
実はこの3つの幕府については、大変学習がやりやすいところだと私は思っています。
なぜかというと、きれいに比較できる内容がわりとたくさんあるからです。
以前の記事でも書きましたが、記憶をグループでひとかたまりのつながりにして覚えていく際には、対比しやすいものをグループにしていくということがかなり有効です。
3つの幕府の学習はまさにこれにぴったりと当てはまるのです。
まさに横断的理解(暗記)の活躍する局面です。
幕府の仕組みは比較すると覚えやすい
幕府を興した人物である源頼朝・足利尊氏・徳川家康の比較などは当然ですが、
幕府の仕組み(政治体制)についても統治組織の図が
3つの幕府について似た形で教科書などにも大抵掲載がされています。
学習の要領のよい生徒であれば、この3つの図を見比べて
「しめた!覚えやすいぞ」と思うはずです。
この中でまず一番テストなどで聞かれるのはもちろん、将軍の補佐役(No.2の役職名)でしょう。
鎌倉から順に、「執権・管領・老中(大老)」ということになり、これも比較がしやすいです。
もっとも、生徒にこれを3つ言わせても、上記の幕府名と同様、3つともスラスラと答えられる生徒は残念ながら少ないです。
学校では順にゆっくりと学習していくので、大体3つの幕府を比較して見てみるという作業を生徒は行いません。
ほんの少しの手間で全然記憶しやすくなるのに、そういうことをやろうとしないというか、やると記憶が定着しやすいということを知らないのだと思います。
だから3つ並べて言えないのです。
理由を考えると細かい名前も覚えることができる
幕府の仕組みの中で、少しマイナーではありますがテストに出ることもある機関名として、なかなか覚えられないものがあります。
それは「六波羅探題」「鎌倉府」「京都所司代」「大阪城代」などです。
どれも地名が入っていますが(六波羅は京都の地名)何となくピント来ないのでしょう。何回やっても覚えられないという生徒がいます。
しかしこれも3つの幕府を比較して、それぞれの設置された理由を考えると実に簡単に覚えることができます。
京都六波羅のスパイ機関
まず「六波羅探題」は鎌倉幕府の機関ですが、その目的は京都で朝廷が承久の乱を起こしたのに懲りて、二度と朝廷が乱を起こさないように監視をするため設置されたものです。
生徒によく言うのですが「探題」はいわゆるスパイです。
鎌倉幕府が遠く離れた京都の朝廷が勝手なことをしないように、「六波羅」にスパイを置いたものなのです。
鎌倉の復活を防ぐ鎌倉府
次に「鎌倉府」は室町幕府の機関ですが、その目的は六波羅探題とよく似ています。
室町幕府は鎌倉幕府と異なり、本拠地が京都になりましたので、
京都から遠く離れた鎌倉で、鎌倉幕府の頃の力に持っていた勢力が復活して乱を起こしては困るため、監視と統制のために設置をしたものです。
豊臣家と外様大名の乱を防ぐ京都所司代・大阪城代
同様に「京都所司代」「大阪城代」は江戸幕府の時代に
徳川家康が幕府を開く前政権を有していた豊臣家が力を盛り返して、外様大名となった旧来の豊臣家の家臣たちと結託して幕府に反乱を起こすことを恐れて、
豊臣秀吉が築いた巨大な大阪城と、京都の朝廷と西国大名(外様)を監視するために設置した機関です。
このようにその時々の幕府が、それまで力を有していた勢力の反乱を遠い地から警戒して設置したことが分かれば、地名も自然と覚えられますので
暗記をすると意識しなくても頭に記憶が残ります。
さらにイメージとしては、(実際には政治を仕切っていた補佐役がそう思っていたのだとは思いますが)
「将軍がどんなことを心配したのかな?」ということを試験現場で考えれば記憶もよみがえりやすいのではないかと思います。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。