【中村天風の言葉】「幸せになるための能力」とは?

以前の記事で中村天風の言葉をご紹介したことがあります。

中村天風は実業家であるととも有名な思想家で、歴史上の偉人である東郷平八郎、原敬を始め、松下幸之助氏や稲森和夫氏など実業界の人物にも広く影響を与えたとされる人です。彼の言葉には真実を語る力があるように感じます。

 今回も彼の言葉をご紹介したいと思います。

それは「感謝するに値するものがないのではない。感謝するに値するものを、気がつかないでいるのだ」という言葉です。

私たちは日々を暮らしていて、色々と不満な事やうまく行かない事に目が行きがちです。

「ああ、嫌な事ばかりだ」とか「なんで自分だけこんなに大変な目にあってしまうのだろう」と考えてしまった経験は誰にでもあると思います。

また「一生懸命努力しているのになぜ報われない?」とか「神様は不公平だ」というようなことを繰り返し思っている人もいるかも知れません。

そしてその結果、毎日が暗くなったり、ため息をついてばかりになってしまうような状況も想像できるところです。

 では本当にそうなのでしょうか?

たとえば「世の中は嫌な事ばかり」というのは、果たして真実でしょうか?

結論は「考え方次第」

 「世の中は嫌な事ばかり」という言葉には、かなり大きな主観が入っています。

敢えて言語化すれば「世の中は私から見ると嫌な事ばかりのように感じる」ということになるかと思いますが、もちろん他人から見たらそうではないかも知れません。

結論から言うと「世の中は嫌な事ばかり」が真実かどうかは「考え方次第」だと思います。

 たとえば「朝出かけるとき雨が降っていた」は全く価値中立の客観的事実です。

これを見て「何という嫌なスタートか。今日は憂鬱」という人もいるかも知れませんが、「今日は仕事が楽だな」と思う人もいたり「やった。お休みだ」と言う人もいるかも知れません。

あるいは農家の人ならば「これで作物が育つぞ。感謝」となるかも知れません。

 たとえば「上司に『君はもう少し考えて行動しなさい』と言われた」という事実も、価値中立な客観的事実です。

多くの人は「やばい。叱られた」と思うかもしれません。中には「上司は自分を嫌っている」と思う人もいると思います。

ではこんなとらえ方はどうでしょうか?

「有難い。自分はあまり考えずにまず動いてしまっていた。これは気づかなかったな。やっぱりオレの上司ってすごい。感謝だな」

 だから「嫌な事ばかり」と思う事も簡単にできるし、そうでなく「感謝することばかり」と思う事も簡単に実はできるのです。考え方次第でどうにもなるのですから・・・

 私たちは自分の目の前に起こることについて、とにかくマイナス面ばかりを追う傾向があります。きっと人間はそういう風にできているのでしょう。

でも視点をちょっと変えれば、うれしい事、幸せなことはたくさんあります。たくさんあるのにそれに気が付かないだけです。

実は「幸せになる事」は簡単なのかもしれません。

視点を変えるのです。そうすればすべての物事は自分がマイナスへ判断をしてしまっていることに気が付きます。

 たとえば人の死であってもマイナス面はもちろん多大ですがプラス面に働くこともあります。

私は割と人より早く父親が他界しました。

当時は大変な衝撃でしたが後になって考えると、若い時から世帯を背負って生活をしなくてはならなくなったことによって、「少しでも早く自分がしっかりしなくてはならない」という自覚ができました。

もし今でも父親が生きていたら、現在の自分よりだいぶ甘えた人間のままだったに違いありません。その意味では、そういう厳しい状況が早くやってきたことには感謝せざるを得ないのかも知れないと今は思っています。

 このように考えてくると人間には1つの「幸せになるための能力」が与えられている事に気が付きます。

それは「自分が幸せであることに気づく能力」です。中村天風の「感謝に気づく」ということは、結局そういう「現在ある幸せ」に気がつくということなのではないでしょうか。

つまり誰もが「今すでに幸せである」が、多くの人がそれに「気づいていない」だけなのです。だとすれば気づいた人から幸せになるということだと思います。

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