【法の支配と法治主義】「悪法は法にあらず」と「悪法もまた法なり」どちらが本当?

日本は法治国家だから・・・

 よく以前テレビなどで「日本は法治国家だから」というセリフを政治家の人が述べているのを耳にすることがありました。

最近はテレビ自体を見ないので今もそんなセリフを言っているかどうかはわかりませんが、

「ずいぶんアバウトなことを言っているな」そんな感想を持ちました。

法治国家の意味が、情実で物事が決まっていく「人治国家」の反対の意味であれば、「何事も法律に沿って人権が守られている」から正しい事を言っていることになると思いますが

どうも言われているニュアンスがそれとは違って「法律は守るべきであり、皆それを守らなくてはいけない決まりなので」という感じがすることが多くて気になったのでした。

法治国家の言葉の背景には近代ドイツ法学の「法治主義」という考え方があると思いますが

従来の「法治主義」は形式的法治主義と言われていて、「法律によって国家権力が行使されなければならない」という考え方だと言われています。

 一見当たり前のように思えますが、この場合の「法律」には人権を守るための実質的な制限の原理が組み込まれているわけではありません。

つまりよく言われる「悪法も法」という考え方に近接して考え方を取っているものです。

*「悪法もまた法なり」はソクラテスの言葉のようです。

 このため悪名高いナチスの台頭による悪政も、決して違法行為ではなかったのです。

そういう反省からか、現在のドイツ系の法学では実質的法治主義を採用して、「法律」の中身を問題にするという考え方になってきているようです。

 だから単純に「日本は法治主義の国」という言い回しにはちょっと引っかかるのです。

英米法の理念を汲む現憲法からすれば「日本は法の支配に基づく国」だからと言ってほしいところです。

法の支配

 法の支配と言うのは、法治主義とは発想点が異なる考え方です。ここで「」と言うのは法を作るそもそもの目的、つまり「個人の価値を守ること」のために国家権力を制限する「正義の法」というような概念になるかと思います。

そして基本的人権の保障は、常にその延長上にあります。

 具体的に法治主義とどこが大きく違うかと言うと、法の支配の下では恣意的な法律や内容面で個人の尊厳を侵害するような法律は、上位の法概念(平常時は「憲法」)の下で無効とされるという事が(形式的)法治主義とは異なります。

つまり「悪法は法にあらず」という事です。

少なくとも我が国の法体系上は「悪法は法にあらず」が正しいのです。

違憲審査権の本当の意味を知らない。

 学校では小学校・中学校・高校のどの段階でも憲法について学習します。

そこでは必ず違憲立法審査権について学習して、裁判所は憲法の番人というようなキーワードを学びます。

しかし私の記憶では、小中高と学校で勉強した憲法は、実質上「法律のしくみの暗記」の学習でしかありませんでした。

今もほとんどの学校の授業やテストが、そういう趣旨で作られている気がします。一番重要な人権を守るための立憲主義の意義なども「これ暗記ね」の一言で終わりになることもあります。

私自身は法学部に入って司法試験の学習をするようになって初めて「法の支配」の本当の意味を知ったように思います。その際には目からうろこが落ちるようでした。知っていたつもりでしたがまるで次元の違う情報だと感じたものです。

そしてその内容をしっかりと学習すると、それはおよそ社会にある規範すべてに当てはまる重要な事であることに気が付きました。

 その経験や学校での憲法教育の実態を振り返って、なぜ法の支配の考え方が広く行きわたらないかを考えてみました。

実はそれは、日本の社会や学校の在り方に由来している気がします。

 日本の社会では職場でも学校でも、広く「決まりは決まり」という考え方が幅を利かせていています。

「決まりに疑問をさしはさむこと」は、そもそも和を乱すということで悪い評価を受けがちだからです。

そして何よりも「法の支配」を教える学校の体制自体が「先生や権威」による「人の支配」を背景にしている部分がある気が自分が学生である当時はしたものです。

 中学でも高校時代でも不合理な校則に対して疑義を唱えた際に、先生から返ってきた返事は「これは決まりだから」というものばかりでした。

そして「嫌ならば生徒会に出て改正をすれば?たぶん難しいけど」というようなことも実際に言われました。

 これは実社会で言えば、違憲な法律で被害を受けて訴えたら、「いやなら法律をあなたが変えたら?」と言われたようなものです。そんな感覚の教師が憲法の法の支配を教えられるはずはありませんね。

だから、文面としては「法の支配」という言葉が教科書には書かれていても、上記のような趣旨をどれだけ先生や文科省が伝えようとしているかははなはだ疑問です。

法律ですらない閣議決定や知事の専権行為

 昨今の世情において、さまざまな緊急の措置や行政行為、あるいは国民への行動制限などが行われていますが、それらのほとんどが法律ですらない閣議決定であったり、一知事の専権的な決定であったりすることはご存じでしょうか。

一部法律が改正されているものもありますが、それについても都などでは非常に恣意的な運用がされていて訴訟が起こっていることは周知の事実です。

 憲法のことや法の支配の事を忘れ去られている状況が今も続いています。

 すべてそれらの名目は「国民の生命と安全を守る」という事がその根拠とされていますが、昔から独裁もファシズムも名目は「あなたたちのために」と言うのが、実は決まり文句です。

 何か目的があってやっていることでしょうから、その点についての深い論評は避けたいと思いますが、気になるのは「みんなが守っていることだから」という政府やマスコミに誘導されたテーマを多くの人が何の留保もなく受け入れている事です。

これは小学校の教科書にも書かれている趣旨を私が解釈して書いたものです。

1 みんなが守っていても、法律でもないおかしな決まりにしたがう必要はありません。

2 みんなが守っている法律でも、人権を侵害していればそれは違憲で無効な法律です。

それらを自分の生命や安全や財産を犠牲にして守る理由はないのです。

この単純な法学の基本中の基本、小学校の教科書にも書いてあることを、みんなもう一度よく考えてみた方が良いかも知れません。

「『みんなが安心して暮らせるために』という名目なら、個人の人権はいつまでも侵害され続けて良い」わけではないという、ごく当たり前のことを思い出す時のような気がしています。

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