神無月(かんなづき)
10月の和風月名は「神無月」です。「かんなづき」という読み方が普通ですが、「かみなづき」などと読む人もいるようです。
この漢字を見て「神無月」は「神が無い月」だと思う方がほとんどだと思いますが、実は本来の意味は逆になります。
つまり「神の月」という意味になります。
「無(な)」は古文における連帯助詞「の」の母音互換形で、現代語で言えば、たとえば「うちの猫」というのが「うちな猫」になったようなものなのですが、紛らわしい事にこの「な」の漢字として「無」が当てられているため、何かあべこべ感が出てしまったようです。
このような「無(な)」の使い方は、6月の和風月名である「水無月(みなづき)」にも見られます。「神無月」と同様に、「水無月」は「水の月」という意味です。
「神無月」の本来の由来は、この「神の月」だったようです。旧暦の10月は現代で言うと10月下旬から12月初旬くらいになりますので、秋祭りが開催されている地域も多く、そんなことから神様を祭る月という意味だったのではないでしょうか。
和風月名
日本では月には異名(異称)があります。
師走(12月)などは有名ですが、他にもたとえば如月(2月)や弥生(3月)というような呼び方があります。
「和」のイメージで、素敵な響きがあります。
和風月名とも言われるこの呼び方は、意外に歴史が古く日本書紀にはすでに記載があったとされています。
元々の由来は中国から来たものと言われていますが、こういう呼び名は、現在使われている新暦(グレゴリオ暦)以前の旧暦(明治初めまで使われていた太陰太陽暦)下では、一般に使用されていたものでした。
最近になって再評価されて、学校でも習うようになりましたし、カレンダーなどにも記載があるようになりましたが、和風のイメージや響きに人気があるようです。
和風月名の多くは四季の移り変わりをテーマにしていたり、周りの自然をテーマにした名前が多いのですが、「神無月」は「神様」をテーマにしているため少し色合いが違っていますね。
和風月名の一覧
和風月名を12か月並べるとこうなります。
1月 睦月(むつき)
由来はこちら 「なぜ1月を『睦月』と呼ぶのか?」
2月 如月(きさらぎ)
由来はこちら 「素敵な和の響きを持つ『如月』は2月を表す言葉」
3月 弥生(やよい)
由来はこちら 「3月はなぜ『弥生(彌生)』って呼ぶの?漢字『彌』に秘められた素敵な意味とは?」
4月 卯月(うづき)
由来はこちら 「4月は桜のイメージ。でも『桜月』でなくて『卯月』と呼ぶのには理由があります」
5月 五月(さつき)
由来はこちら 「五月晴れは『梅雨の合間の晴れ』だった」
6月 水無月(みなづき)
由来はこちら「田に水があって雨も降るのに、なぜ6月は水無月? |
7月 文月(ふみづき)
由来はこちら 「暑いのに7月に執筆?読書?『文月』の由来とは?」
8月 葉月(はづき)
由来はこちら 「8月なのに『葉が落ちる月』?」
9月 長月(ながつき)
由来はこちら 「9月に長いものって一体何?『長月』の由来とは?」
10月 神無月(かんなづき)
由来はこちら 「10月には神様がいなくなる?・・・何と留守番もいました」(本稿)
11月 霜月(しもつき)
由来はこちら 「霜って11月に降りるの?『霜降(そうこう)』との関係とは」
12月 師走(しわす)
由来はこちら 「12月は本当に師が忙しくて走っていたの?万葉集にヒントも…」
神様がいなくなる月って本当?
これとは別に世間によく言われている意味として「神無月」は「神様がいなくなる月」というものがあります。
「神様は皆この時期出雲に集まるのでいなくなってしまう」というのです。
私の住む地域は田舎で小さな神社なため、神社の番をする禰宜番(ねぎばん)という当番があるのですが、これまで2回(2年間)その禰宜番をした際に、両方ともそういう話を聞きました。
そして神無月の前後には「神送り」「神迎え」の儀式があって、夜の0時を超えるまで神社で番をするというような行事がありました。
習俗行事になっているので結構楽しかったのですが、こんな行事があることからすると「神様がいなくなる」というのは結構昔から言われてきたということになります。
調べてみると「神様がいなくなり出雲にあつまる」という説は、平安時代の頃、出雲大社の御師(おし・参拝者の案内をする人)が全国に広めた解釈(語源俗解)だということだそうです。
そしてそれを前提として出雲の地域では「神無月」ではなく「神在月(かみありづき)」というそうなので、なるほどと思いました。
きっと出雲大社を盛り上げようとしてそんな逸話を話したら、有難い話として広まったのでしょうね。出雲だけ「神在月」というのがやはり人が作った話らしい気がしますから・・・
ただ行事(神事)としては、その話を前提にした行事が今も行われています。上記の各地で行われている「神送り」「神迎え」を始め、出雲大社では、「神迎祭(かみむかえさい)」、そして「神在祭(かみありさい)」、神々をお見送りする「神等去出祭(からさでさい)」などがが行われているということです。
また「神在祭」では、全国の神々の会議である「神議(かみはかり)」が行われるそうです。人の縁にかかわる万事諸事について決められるということですので、ちょっとロマンがありますよね。
*出雲大社のWEBサイトはこちらから https://izumooyashiro.or.jp/inquiry/contact
平安時代の話から来た行事ですから、たとえ語源に忠実でなくても習俗的にも歴史的にも意義のある素晴らしい神事であることはもちろん間違いありません。
神様は皆いなくなるの?
さてこの説に立った場合、10月には神様が皆各地にはいなくなってしまうのかという心配が当然生まれます。
私も禰宜番をやっていた当時、そしてつい最近まで「それは不安な事だ。10月は気を付けなくては」などと思っていたものです。
しかしそこはさすが昔の人の知恵(そんな言い方は失礼でしょうか)に基づいて解決策が考えられていました。
ちゃんと別の神様が留守番してました。「留守神様(るすがみさま)」と言います。
全ての神様が出雲に出かけてしまうのではなく、留守番をする神様がいるそうなのです。
「恵比須神(えびすしん)」いわゆる「えびすさま」が有名ですが、他にも「金毘羅神(こんぴらしん)」や「竈神(かまどしん)」「道祖神(どうそじん)」などが留守神様だと言われています。
10月に各地で行われる「恵比須講(えびすこう)」は留守神様を祭るものだそうです。
なかなかうまくできていますね。