【和風月名 師走(しわす)】12月は本当に師が忙しくて走っていたの?万葉集にヒントも…

師走(しわす)

 12月の和風月名は「師走(しわす)」です。

おそらく和風月名の中では一番皆さんが耳にすることが多い異名が師走ではないでしょうか。

そしてほとんどの方が「師(先生)が忙しくて走り出すから師走なんだよね」とおっしゃいます。

事実私も学校で複数の教師からそうやって教わりましたし、スピーチなどでも12月に入ると枕詞のようにそういうネタを入れてくる講演者も多いです。

 ここで言う「師」は誰もが「先生」と考えていて、イメージとしては寺子屋や藩校の先生が大慌てで江戸の町を駆け抜けていくようなシーンを頭に描いているのではないでしょうか。

 しかしこの言葉の由来の有力説のこの「師が走る」説でも、実は「師」はそういう先生ではないようです。

 「師」については二通りの考え方があり、一つは僧侶が「師」であるというものがあります。

もちろん旧暦の12月なので実際には今の12月~2月初めくらいになりますが、それでも年末年始期間と言えばいえなくもないでしょう。お坊さんはこの時期に昔はかなり行事があって多忙だったようです。

 このことから「僧侶が走る忙しさ」という事で「師走」になったと言います。「師が馳せ参じる」という事で「師馳(しはせ)」から来たという説もあるようです。

もう一つは、「御師(おし)」が走るという考え方です。

「御師」は寺社において宿坊の経営や参詣人の案内をする神職を務める人の事ですが、年末年始は忙しいため、彼らが走ったということです。 

和風月名

 日本では月には異名(異称)があります。

たとえば如月(2月)や弥生(3月)というような呼び方があります。

「和」のイメージで、素敵な響きがあります。

和風月名とも言われるこの呼び方は、意外に歴史が古く日本書紀にはすでに記載があったとされています。

 元々の由来は中国から来たものと言われていますが、こういう呼び名は、現在使われている新暦(グレゴリオ暦)以前の旧暦(明治初めまで使われていた太陰太陽暦)下では、一般に使用されていたものでした。

最近になって再評価されて、学校でも習うようになりましたし、カレンダーなどにも記載があるようになりましたが、和風のイメージや響きに人気があるようです。 

和風月名の一覧

 和風月名を12か月並べるとこうなります。

1月 睦月(むつき) 

由来はこちら 「なぜ1月を『睦月』と呼ぶのか?」

2月 如月(きさらぎ)

由来はこちら 「素敵な和の響きを持つ『如月』は2月を表す言葉」

3月 弥生(やよい) 

由来はこちら 「3月はなぜ『弥生(彌生)』って呼ぶの?漢字『彌』に秘められた素敵な意味とは?」

4月 卯月(うづき)

 由来はこちら 「4月は桜のイメージ。でも『桜月』でなくて『卯月』と呼ぶのには理由があります」

5月 五月(さつき)

 由来はこちら 「五月晴れは『梅雨の合間の晴れ』だった」

6月 水無月(みなづき)

由来はこちら田に水があって雨も降るのに、なぜ6月は水無月? |

7月 文月(ふみづき) 

由来はこちら 「暑いのに7月に執筆?読書?『文月』の由来とは?」

8月 葉月(はづき) 

由来はこちら 「8月なのに『葉が落ちる月』?」

9月 長月(ながつき) 

由来はこちら 「9月に長いものって一体何?『長月』の由来とは?」

10月 神無月(かんなづき)

由来はこちら 「10月には神様がいなくなる?・・・何と留守番もいました」

11月 霜月(しもつき)

 由来はこちら 「霜って11月に降りるの?『霜降(そうこう)』との関係とは」

12月 師走(しわす)

 由来はこちら 「12月は本当に師が忙しくて走っていたの?万葉集にヒントも…」(本稿)

本当に師が走っていたのか?

しかしこの二つの考え方は、他の和風月名の名前の由来と比べるとどうも世知辛い感じがしますね。なぜかロマンを感じられないと思うのはわたしだけでしょうか。

たとえば「卯の花の咲く月」である「卯月」とか、「水の月」である「水無月(みなづき)」とか、それぞれに味わいがある名称なのが、他の和風月名である気がするのです。

だから「師」がバタバタと駆け回っている月というイメージはどうなの?と感じてしまいます。本当にそういう由来なのかなと思ってしまったりします。

 そこで別の説も検討してみることにします。

年果つ(としはつ)

 12月は1年の終わりの月なので、「年が果つる」ということで「年果つ(としはつ)」と言う言葉があり、そこから「しはつ」となってやがて「しわす」になったものという考え方があります。

もちろんこの場合も漢字は「師走」なので、結局当て字になるのは変わりはありませんが、他の和風月名とのイメージバランス的にはこれがしっくりくるかもしれません。

ちなみにこの説の中でも文字については色々な説があり、「四季が果てる月」ということで「四極(しはつ)」というものや、「年の終わりで為すことが果てる月」で「為果つ(しはつ)」というものもあるようです。

万葉集の言葉

 今私自身が「渥美半島万葉の会」という会に参加しておりまして、毎月万葉集について学び楽しむという事をやっております。

*ご興味のある方はぜひご一緒にどうぞ。どなたも参加できます。こちらからご覧になれます。https://www.facebook.com/atsumimanyo/

万葉集中に「十二月(しはす)には 沫雪(あわゆき)降ると 知らねかも 梅の花咲く 含めらず(ふふめらず)して」という歌があります。

 
(巻八 1648 題詞 紀小鹿郎女の梅の歌一首 原文 十二月尓者 沫雪零跡 不知可毛 梅花開 含不有而)

意味は、「十二月には淡雪が降ることを知らず咲いたのだろうか。梅の花が咲き始めたよ。つぼみも膨らせないで」というものですが、この歌の中で十二月は「しはす」と詠まれています。

「なるほど、そうだとすれば万葉集が由来だ」という事になりそうですが、ちょっと待ってください。

確かに「しはす」は音で言えば「しわす」になりますから、おそらくこの頃から12月をそう呼んでいたのでしょう。

 でも逆にそうなると今と同じということになりませんか。

由来というよりも、12月は万葉集の当時からそう呼ばれていたということになってしまいますね。

そういうことを総合的に考えると、やはり上記の「年果つ」説が一番合理的な考え方になるのかも知れません。

 いずれにしても、和風月名の由来をさかのぼっていくと、当時の人々の考えていたことや四季の様子、人々の暮らしの事までいろいろと思いを馳せることができます。

この国の民は昔からちょっとしたことにも様々な思いをもって、自然と一緒に楽しく暮らしてきたのでしょう。

私たちのこういう和の文化を大切にしていきたいものですね。

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